コロナが一段落ついて、今年はほぼ以前のゼミ環境に戻りました。この2年間ほどの特殊事情から、以前の普段の制作環境に戻りつつあります。そんなことを考えていたら、ふと「作品」とは一体何なのか?今更になって、みなさんを指導している立場なのに、こんな疑問が湧いてきました。偶発的におもしろいことを思いついてそれを形にするだけでももちろん作品になり得ます。でもここは大学という場で、ゼミは1年間の授業です。偶然の思いつきを形にしただけのものを作品と呼んでいいのか?でもできたものはとてもおもしろいものなのだけど、とか。みなさんは自分で掲げたテーマについてリサーチをしていろいろなことがわかる。だけど、ただそれをまとめただけのものは作品と呼べるのだろうか?とか。そこになにかオリジナリティがいるのではないか?では、オリジナリティとはなんなのか?とか。先生という立場が故の堅苦しいことを考えてみなさんと共有します。そしてみなさんも悩みます。でも、そんな疑問を持ち続けて悩みながらできた作品は強いということもわかってきました。スコーンとかっ飛ばした珠玉のアイデアや技術が練り込まれた作品はもちろん強いです。でも、悩みに悩んで作られた作品も強いです。その強さやおもしろさは後年になってじわじわとわかるでしょう。僕自身がそうですが、卒業制作とそこで考えて悩んだ内容は一生の思い出で、これからの人生の糧と指標になります。
古堅 真彦
FURUKATA MASAHIKO
アルゴリズミックデザイン