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中村惕斎の訓蒙図彙から見渡す日本の天文図譜の変遷

中国の「天人相関説」の影響から日本特色ある編集への発展

カ イチハン

論文、グラフィック、ブックデザイン、
8号館 219

日本は外来文化を学んで吸収することが得意だと思う。つまり、外来文化とぶつかり合い、学べれば学ぶほど新たな思想を生み出し、日本的な「物」になった。そこから日本の伝統文化の視覚表現と外来文化の魅力を同時にうかがえる。
大学の時、三浦紫苑の小説『船を編む』を読んだ上で、辞書に対する新たな見方を生み出した。ここから、辞書の編集とデザインに引き込み始めた。卒業製作の延長線として、来日後も日本の辞書に関する資料を集め、特に文字辞書と絵入り辞書である。資料を収集するだけではなく、原本そのものも見に行ったことがある。最後に、絵いり辞書を絞り込んだ。そして『訓蒙図彙』と『訓蒙図彙』に関する一連の図譜を発見した。
日本の最初の絵入り辞典(博物図譜)としての『訓蒙図彙』自体は、1695刊の『頭書増補訓蒙図彙』、1789刊の『頭書増補訓蒙図彙大成』と2度にわたって増補改訂版が作られており、時代の要求に応じながら「図」と「文」の内容多くの読者を啓蒙し続けた。また、『和漢三才図絵』、諸「訓蒙図彙もの」、明治時代の百科事典、単語図などにも重要な影響が与えることを発見した。ケンペルが編集した『日本誌』とディドロの『百科全書』の日本関連項目の記述までの影響もある。『訓蒙図彙』は日本の書物史に不可欠な存在と思う。
江戸時代から明治時代まで、この一連の絵入り辞典(博物図譜)は、外来文化の影響をうけ、どうやって時代を応じてだんだんと変遷していたのか。
日本の特色がある思想や文化と融合して書物の編集、デザインする方法論を探したい。
(主査:寺山祐策/副査:中野豪雄)

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