in action

可視化する宗教

信者かオタクを選ぶ私たち

竹内 志保

グラフィック、ブックデザイン、文章
8号館 206B

「宗教」という言葉にフラットなイメージを持つ人はなかなかいない。この言葉はあるときから、「怖い」「危ない」、転じて「面白い」といった偏ったイメージが付属するようになった。1995年に起こった新宗教団体によるテロ事件は、そのマイナス的な付加価値により拍車をかけ、非合理的な存在へ興味を持つことそのものが一種のタブーであるかのような扱いを決定的にしてしまった。しかし、だからといって日本人が宗教に無関心であるとはいえないだろう。
孤独を抱えた多くの人々を新宗教団体は擬似家族と救済で抱え上げた。サブカルチャーはオカルトを積極的にテーマに扱った。
そう、私たちは平成が令和になってもずっと宗教をやめられない。
私たちはハレの日を愛し、夏には祭りで御輿を担ぐ。初詣や七五三で願掛けをし、結婚や死といった人生の節目には宗教施設で式を執り行う。幼い頃はおまじないに興じ、教室には異形の都市伝説がまことしやかに囁かれる。漫画をひらけば、そこには「魔法」「悪魔」「呪い」の文字が踊っている。
しかしこういったことすべてに、ほとんどの人が「宗教」を感じていない。彼らは、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』にみられるトンネル向こうの異界や、任天堂がうみだした「ポケモン」という愛らしい使役獣に、親しみこそ感じてもまさかそれらは自分たちの宗教観が生んだ感情だとは思わないのだ。無邪気に、無自覚のなかで、宗教と戯れる日本人…。
きっと今日も明日も10年後も、テレビは毎朝出勤する人たちを星座で占うことをやめないし、ビジネスマンは「マインドフルネス」「瞑想」が高らかにうたわれた本を買う。日曜の朝に繰り返されるヒーローの敵は怪物というお約束が崩れることもないだろう。

私たちは、人と異形がすれ違う世界に暮らしている、いいや暮らしたがっている。

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