「自然」と「人工」は認識によって境界が曖昧になる。これまで何気なく触れてきたもの、慣れ親しんできたものは、どのような素材にどのように手が加わってその姿になっているのだろうか。今、この忙しなく激しく動く社会の中で生きているとその流れにのまれて自分が「生き物」であり自然の一部であることを忘れてしまう人も多いのではないか。そして、この人工のもの、データに囲まれるデジタル社会で生きることの限界を人々は感じ始めているように思う。
人間はこれまで様々な方法で自然と関わり共生し、時に克服しながら生活をかたち作ってきた。あるところではプログラミング技術が生まれ、あるところでは自然を恐れ同時に尊敬し共に生きる術を受け継いでゆく。人の数だけ社会との関わり方があり、その捉え方がある。「自然」と「人工」の境界も捉え方によって人の数だけそこに意味や使い道が見出されていく。生活を「自然の素材」と「人の行為」をキーワードに見つめ直す。