「家族」とはどんな存在だろうか。
いつでもそばにいてくれる無条件の安心感、気恥ずかしく素直になれない存在、自分の人生の基盤が構築される枠組み。
「家族」とは普遍的なものでありながら、一方でとても個人的で特徴的な枠組みであると思う。それは、それぞれの文化や生活空間、歴史が存在し、家庭ごとにさまざまな「家族の記憶」があるからだ。『あるある』と他者から共感される「家族の記憶」もあれば、ハイコンテクストで他者には伝わらない「家族の記憶」も存在する。
そんな「家族」という狭いコミュニティの中で蓄積された記憶に興味を持った私は、卒業制作という集大成の場をきっかけに、いま一度家族と向き合う時間や機会を作った。そして今まで支えてくれた家族への4年間の感謝も込めて、この作品を制作した。
そして家族の記憶を可視化するために用いたメディアが「家」である。私の生まれ育った兵庫にある実家は、大工である父が私の生まれた年に建てたものだ。その家は私たち家族が住むために父が考えた家であり、私たち家族独自の「家の枠組み」が存在している。そこには畳の擦り跡や家の柱の傷跡など、生活から発生した痕跡がある。それを、言うなれば記憶が埋め込まれている記録として採集した。その記録から探偵や考古学のように環境から予測や想起をしていき、家族の記憶の手がかりとした。実際に見える「家」から、見えない「人の暮らしや営み」の可視化を試みたのである。その記録から読み取れた「家族の記憶」が、私たち家族が形成した文化や生活空間、家族に関するこれまでの歴史を表しているのではないだろうか。
この作品は、生活してきた時間が蓄積された「家」を通して、「家族」という独自の文化の記憶を見つめることで、私たち家族のかたちの可視化に挑戦した。そんな、この世界のどこかで生きている「家族の記憶」を感じ取っていただけると嬉しい。