トーマス・グラッドウィンは、トラック諸島の島民が海を航行する方法と、西洋人のそれとを対比した素晴らしい論文を1964年に書いている。西洋の航海士は、始めに一般的な原理に従って海図にプランを描き、すべての動きをプランに従わせることで航海を遂行する。彼の努力は、計画されたコース上にとどまることに向けられ、予想外の事が起きたら、まず計画を修正する。トラック島の航海者には、最初にプランはない。彼は目標に向けて出発し、発生する条件にその都度のやり方で対応する。今ここにある状況―風や波や潮流、星や雲やボートの側面に打ち寄せる水の音など―にもたらされる情報を知覚し、舵をとる。彼の努力は、目標に至るに必要なことすべてを実行することに向けられる。聞かれれば彼はいつでも目標を指し示すことができるが、コースを描くことはできない。
デザインという行為は、トラック諸島の航海法と少し似ていると私は思う。勿論、プロジェクトのレイヤーでは西洋的・目的的な認知モデルで活動する。しかし、「どのようなコミュニケーションを作り出すか」を構想し、それを担うデザインが「美しく」あるため作っては壊す過程で、デザイナーはあらかじめ予想できなかった表現に出会わなければならない。そこには意図しても意図せずとも、幾度となく「化学反応」が起こる。この二つの異なる種類の知性を自らの中に共存させること、それが視デでの学びであってほしい。