JOURNEY

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18年前、僕はみなさんと同じように卒業制作に没頭していた。終わるかどうかの不安を抱えながらも、なんとか自分自身の集大成を完成させようと必死だった。様々な資料を読み込み、先生や友人から言葉をもらい、思考し、手を動かしながらもがいていた。その経験の全てが、今の自分自身を形成していると強く感じる。
そして今年、視デに教員として戻ってきたのだが、学生当時ではぼんやりとしていた「学び」が、どのような意味を持っていたのかを明確に知ることとなった。対象ととことん向き合うこと。そのために眼と身体を鍛えること。対象にはどのような意味や法則や文脈が存在するのか、調べ、形にし、また調べ。。。
視デで学ぶうちに自然と実践していたこれらの背景には、デザインの根源性とは何かを高度に追求する問題意識が横たわっていることを知ることができた。それは卒業制作で七転八倒し、社会に出て様々な困難と楽しさと可能性に出会ったからこそ気づくことができたのだと思う。
旅とは一見すると、リニアに前進するというイメージがあるが、一概にそうとも言えないかもしれない。わたし自身がこうして一周回って元の場所に戻ってきたように、空間的には戻っているようで時間的には多くを費やしている。その中で人はたくさんのことを学び、思考し、身体で様々なものに反応し、吸収する。その体験を経て戻ってきた景色は、物理的には変わっていなかったとしても、明らかにその目には異なる意味を持った景色として認知されるのだということを、僕はいま身をもって経験しているところだ。
果たして、卒業制作を終えた皆さんがこれまでの4年間という旅を振り返ってみた時に、それらの経験はどのように映るだろうか。当時は気がつくことができなかった、もしくは見落としてしまっていた全てのことに意味があったということに気がつくのではないだろうか。きっと、これから10年、20年経った先でも、この卒業制作にも大きな意味と価値があったと気づくだろう。そして、そこからまた新たな旅が始まるのだと思う。