自分の「好き」が見えてきたとき、自分らしいアウトプットができる|アートディレクター・田中せり

INTERVIEW クリエイティブと学びのつながり Vol. 1

自分の「好き」が見えてきたとき、自分らしいアウトプットができる

田中せり (アートディレクター)


受験のための学びと、視デの学びは大きく異なります。入学してからそのギャップを目の当たりにし、「振り出しに戻された」と感じる学生も少なくありません。アートディレクターとして活躍する卒業生の田中せりさんも、学生時代はそうだったといいます。田中さんは、大学生活でどのように自分らしさを見つけ、その後クリエイティビティを呼び覚ましていったのでしょうか? 学生時代のことや転機となった作品について、お話を伺いました。

田中せり Seri Tanaka

アートディレクター・グラフィックデザイナー
1987年茨城県生まれ。2010年武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。同年電通入社。企業のCI、ブランディング、ポスター、パッケージ、プロジェクトなどを手掛ける。2020年JAGDA新人賞受賞。

美大以外の道は考えられなかったはずなのに。悩み多き大学生活

——2020年のJAGDA新人賞受賞をはじめ、近年目覚ましい活躍をされている田中さん。幼少期からものづくりが好きで、その延長線で美大入学を目指していたそうですね。

田中せり(以下、田中) はい。物心ついた時から自分で遊び道具を創作していて、紙とハサミを使って洋服をつくったり、誕生日プレゼントをつくったり。一緒に遊んでいた友だちと「未来に建てたいホテルの設計図」をつくったこともありました。逆に、おもちゃやゲームを与えられて遊んだ記憶はほとんどないんです。
 中学生になってからは、ずっと油絵を描いていましたね。当時は「このまま絵本作家になるのかな?」と漠然と考えていましたが、高校生になって大学受験を考えはじめた時、「美術大学以外の選択肢は無い」と思いつつも、「本当に作家活動で生活が成り立つのだろうか」という不安もありました。というのも、私の父が音楽家で、作家活動一本でやっていくのは大変だということを、肌で感じていたからです。そこで就職に強い人気の学科ということで、視デを受験しようと考えました。

田中せりさん

——そのほかに視デに魅力を感じたポイントはありましたか?

田中 それが特になくて。どんな風に学んでいくのかも知らずに入ってしまったんですよね。高校生の頃は「とにかく藝大デザイン・多摩グラ・武蔵視デのどれかに受かりたい。そうじゃなければ浪人する」と意気込むばかりで、受かった後までは想像できなかったというか。だからデッサンや平面構成に必死になって打ち込んで、技術や表現力ばかり磨いていました。そんな状態から視デに入ったので、かなりのギャップを感じましたね。

——どのようなギャップがあったのでしょう?

田中 印象に残っているのは、1年生のはじめにあった「100枚ドローイング」(線との対話)の授業です。先生からいきなり「1本の線を描け」と課題を言い渡されて。「絵を描くわけでもなく、一体なにをさせるつもりなんだろう?」って戸惑いました(笑)。今であれば、1本の線だけでも、時間や距離、ものごとなど、多様な解釈で表現ができる、とてもいい課題だとわかるんですけどね。それまでガチガチに固まっていた受験脳が半ば強引に揉みほぐされたというか、頭の使い方が全然違うなと感じました。

——その後の学生生活はいかがでしたか?

田中 1年生の頃は、実家がある茨城から片道2時間半もかけて真面目に通っていたんです。でも2年生になって1日5時間もロスしていることに気付いてしまって(笑)。しかも視デの授業は「なぜつくるのか」という、プロセスを重視するものが多くて、「何が正解か」ばかり気にしては行き詰まり、自分らしく制作できない日々が続いていました。そういったことからサボり始めるようになって、課題もろくに完成させずに提出していましたね。不真面目になっている自覚もあったので、罪悪感を感じながら学校に通っていました。それが本当にもったいなかったというか。今は学び直したいと思うことが沢山あります。

創造の源は自分の中にある。その気づきが救いになった

——印象に残っている視デの授業はありますか?

田中 3年生の前期に受けた、島本脩二先生の「編集とデザイン」です。学生生活の中で一番課題に向き合うことができたと思うし、これまでの考え方が180度変わるような、転機となる授業でした。10年後の自分を読者と設定して、衣食住をテーマに盛り込みながら、A5サイズで80Pの本をつくるという課題で、毎週台割りをつくって先生に見せながら、自分の生い立ちや好きなことに目を向けていきました。まさに自分を研究するような課題でしたね。そのまま大人になっていたら消えていたような記憶まで呼び起こしていって、整理をして。最終的に『にじゅっぽめ』というタイトルの本にまとめました。
大学に入ってはじめて心から制作が楽しいと感じられて、そのときに「創造の源は、自分にしかないんだ」と気づくことができました。素材は自分の中にある。デザイナーになるならポスターをつくらなきゃとか、どういった作品をつくれば評価されるのかとか、そんなあるべき姿に縛られずに、自分が楽しいと思えるものをつくるようになった途端、とっても楽になれたんです。

3年次「編集とデザイン」課題『にじゅっぽめ』2008年。起きた瞬間から寝る瞬間までの1日を記録した企画は、蛇腹のページに落とし込んだ。

——その後の就職活動は、どのように進めていったのでしょうか?

田中 一般的に広告代理店のアートディレクターを志す人は、ポスターやCIデザインなど、大きくてインパクトのある作品をつくって見せることが多いのですが、当時の私にはそういう作品が1つもなかったんです。自信を持って出せるのは、絵本や木製のカトラリー、ティーバッグなど、日常に幸せをもたらすような小さな自主制作作品ばかり。自分でも「アートディレクターには向いていないだろうな」と思っていましたが、せっかくの新卒採用の機会を無駄にしたくはありませんでした。だからできる範囲でやろうと割り切って、広告代理店の採用試験に挑戦してみることにしたんです。

絵本『naniiro?』2009年

木製スプーン・フォーク『ANIMAL LUNCH』2009年

ティーバッグ『a cup of story』2009年

田中 基本的に大手広告代理店の選考は、その他の会社よりも早い時期から始まります。さらに当時は、学内選考といって、大手広告代理店のアートディレクターが大学に出向き、学生のポートフォリオとプレゼンテーションを見て優秀な人を推薦するというステップが最初にありました。
まずは電通から選考があり、そこで消極的な伝え方をしてしまい、「これじゃだめだ」と思いました。なので次の博報堂の選考では戦略を変えて、「自分は何が好きなのか」を丁寧に伝えてみました。そうしたら、「君はアートディレクターに向いているかも。作品を1つずつちゃんと撮影して、見せ方を変えるだけでもいいと思うよ」とアドバイスしてくれて。その肯定的な言葉に、「絵本で物語を考えることは、コンセプトを考えることにつながる。日常の小さな幸せを考えることは、企画をつくることに置き変えられる」と気づかされ、自信を持つことができました。
 結果的に電通から内定をもらうことができましたが、それも博報堂の方のアドバイスがあったからこそだと思います。プレゼンテーションする時も個展をやっているような感覚で、自分の好きな世界を自分らしく、楽しく伝えていくことができたと思います。

——4年次の卒業制作はいかがでしたか?

田中 卒業制作は1部屋を丸ごと借りて、『記譜日記』というインスタレーション作品を制作しました。その当時、日常生活にある物音に興味があったので、日常音を記録してスコアグラフィックにし、日常空間に落とし込んだんです。自分の歯磨きの音を鏡に印刷したり、朝食をつくるまでの音をランチョンマットに長く印刷したり。雨の音を傘に印刷したりもしました。仕上げに父と2人旅をした時に録音した音を部屋に流し、世界観をつくり込むことができたと思います。

4年次卒業制作『記譜日記』2010年

——当時の田中さんの日常を見つめる視点が、そのまま反映されているような作品ですね。

田中 卒業制作も「自分が好きなことを突き詰めて、自分の言語で話せばいいんだ」と吹っ切れることができていたからこそ、自由に制作できたのだと思います。「目玉焼きを焼く音とかも、標本みたいに収集できないかな」とモヤモヤ考えながら、それを形にしていきました(笑)。

4年次卒業制作『記譜日記』2010年。作品部分

社会人から再び振り出しに。改めて見つけ出した自分と社会との繋がり方

——2010年からアートディレクターとしてのキャリアがスタートしましたが、社会に出てからはどのような変化がありましたか?

田中 社会人となってからは、また視デの1、2年生の頃に戻ったような感覚で、「誰のために?」「なんのために?」という思考に囚われてしまって、長らく自分らしさを見失っていましたね。記憶もどこか曖昧で、きっと“社会的赤ちゃん”状態だったんだなって今となっては思います。転機となったのは、2017年から始まった、栃木県にある日本酒のブランド『SENKIN(仙禽)』の仕事でした。

『SENKIN』2018年

——『SENKIN』の仕事内容を教えてください。

田中 クライアントからの要望は、「100年残るロゴをつくってください」という、非常にシンプルなものでした。何世代も先まで残るようなデザインを手がけることは初めてだったので、とても心が躍りました。
 アートディレクターは、簡単に言えば企業やブランドのビジュアルコミュニケーションを考える人。そこでクライアントに対して理念から将来の野望まで踏み込んで話を聞き、大切なポイントを見つけ出して可視化していく必要があります。だからまずは蔵元を訪ねて、日本酒づくりにかける思いをたくさん聞いていきました。さらに何度も密に相談しながら、その思いをどういう形に落とし込むかを考えていったんです。

「赤は愛、白は伝統、黒は革新と、仙禽を象徴する3つのキーワードを色に結び付けました。言葉なしに色だけで認識できるロゴとなったことで、海外の人にも認識しやすいものになりました」(田中)

——最終的に完成したロゴは、シンプルでありながら非常にインパクトがありますね。

田中 仙禽は鶴の別名であるため、クライアントからも「必ず一案、鶴(タンチョウ)の要素を取り入れたロゴマークをつくってください」と言われていました。そこでさまざまな角度からリサーチを行い、どう解釈しようか考えていった結果、タンチョウの頭を象徴する、赤・白・黒の色に注目したんです。この色が並ぶだけで、日本人はタンチョウの頭を想起できてしまう。いい記号を見つけることができたと思いましたね。そして何よりも「僕たちはこういうブランドに向かっていくんだ」と自信を持って道を歩んでいけるような、旗印としての機能をロゴに与えられたことが嬉しかったです。この仕事を通して、グラフィックデザインの領域を超え、よりブランディングに近づけたように感じています。

『SENKIN』のデザインは、現在も継続して行なわれている。

——ブランディングは、ロゴをデザインしてからが始まりというか。クライアントにも自分たちの美意識を維持して育てる覚悟が必要ですよね。

田中 そうですね。ブランディングの仕事は、こちらの熱量と、クライアントの熱量が同じくらいじゃないと成り立ちませんし、新しい流れができるような化学反応は生まれません。デザインの仕事も同じように、納品して終わりではなく、本当は見届ける責任がある。そういう意味では、初めて「クライアントと一緒につくっている」という実感が得られましたし、「私はこういうことがやりたかったんだ」と気づかせてくれた大切な仕事となりました。

10年ぶりの自主制作でようやく吹っ切れた

——『仙禽』の仕事以降、田中さんらしさを感じさせる作品が一気に増えていったように思います。

田中 そうですね。2019年の3月に、印刷を行う株式会社ショウエイと紙の販売を行う平和紙業株式会社が共同主催する、印刷実験をテーマにしたグループ展に参加して、『粒をレイアウトしてみる』という作品を制作したんです。そこでようやく、自主制作にも熱意が湧き始めました。印刷実験といってもいろいろなアプローチがありますが、私は想定外の現象を作品にしてみたくて、「紙とインクの吹き出し口の間に、ギャップがあるとどうなるのか」という問いを立てたんです。そしたら印刷会社さんも面白がって「やってみよう」と言ってくれて。実験を行い、その結果を作品にしていくことにしました。


『粒をレイアウトしてみる』印刷風景(動画提供:株式会社 ショウエイ) 2019年

田中 実際にプリンタと紙の距離を遠ざけて印刷してみると、入稿データとは全く異なる像になるんです。しかも、空気の流れでインクの粒の飛び散り方も変わるから、同じデータでも印刷するたびに違う作品が生まれます。台の上に棒を置き、その上に紙を置いて印刷すると、棒があるところだけピントが合い、インクの噴出口から距離が離れていくにつれてじわっと粒が混ざり合い、ぼんやりとしたビジュアルになっていく。それが見ていて楽しくて、とてもワクワクしました。作品を展示したことで、たくさんの人に自分の興味を知ってもらえたし、仕事にもいい影響を与えることができたと思います。

『粒をレイアウトしてみる』2019年

——代理店の仕事とは全く違う感覚だったのではないでしょうか。

田中 ええ。それまではずっと受注仕事ばかりで、自分がつくりたいものや、やりたいことがわからなくなっていたので、ようやくエンジンが回ってきたというか、リハビリができたなと思いました。そのままの勢いで、同じ年の7月にアートブックフェアにも参加して、ようやく軌道に乗ることができました。

アートブックフェア出展のために制作した『gap -すきま- graphic』2019年

「このポスター作品は、『粒をレイアウトしてみる』よりも印刷のギャップを少なくして、色紙にマスキングテープとかをペタペタと貼ってその上に印刷し、印刷されたマスキングテープを剥がして移動することで完成させました」(田中)

——そして翌年の2020年にJAGDA新人賞を受賞し、今に至るというわけですね。

田中 はい。受賞をきっかけに同世代のデザイナーとの交流も増えて、ようやくグラフィックデザイナーの仲間入りができたと感じられるようになりましたね。この自分らしさを取り戻せた感覚は、視デ生だった頃に体験したことと共通するものがあります。学びというのは、繰り返されるものなのかもしれませんね。

2020年JAGDA新人賞『DENMAN』2019年

2020年JAGDA新人賞『PuaLoa』2019年

クリエイティブと学びのつながり

——社会に出てから、視デの学びは活かされたと思いますか?

田中 大学生の頃は「プロセスを大切に」という言葉に踊らされて、散々悩んでばかりでしたが、視デが言うプロセスというのは、太いコンセプトをつくる練習だったんだなと社会に出てからわかったんです。あの頃の悩みは無駄じゃなかったんだなって、今は実感しています。

——今後はどのようなことに挑戦してみたいですか?

田中 これからは、社会における自分の役割を改めて考える時期に来ていると思います。面白いグラフィックをつくって終わりではなく、もう少し踏み込んで、コミュニケーションや場、活動などまでデザインしていきたいし、結果を出すところまでコミットできたらいいなと思います。

——最後に、これから美大生になる高校生や、美大生に向けてメッセージをお願いします。

田中 正解ではなく、その人が好きで仕方がないものは、溢れていけばいいなと思います。採用担当として学生と面談する時も、「好きでたまらないものは何?」と聞くようにしているんですよ。そうすることで、その人独自の視点が見えてきます。学生時代はいろいろな評価を受けて、思い悩むことも多いと思いますが、「これいいね」と言ってくれる人の言葉を信じて、エネルギーに変えていってみてください。そうすれば殻が破れ、自らを肯定しながら前進していけるはずです。

取材・撮影・執筆:宇治田エリ