好奇心のままに「越境」し、想像もしない道が拓けた|井崎亜美(デザイナー・アートディレクター)

INTERVIEW クリエイティブと学びのつながり Vol. 11

好奇心のままに「越境」し、想像もしない道が拓けた

井崎亜美デザイナー・アートディレクター


現在、スウェーデンのストックホルムでブランドアイデンティティの仕事に携わる井崎亜美さん。日本のエディトリアルデザインの現場、北欧留学、36歳でのインターンシップ、そして現地企業への就職。その歩みは決して明確なゴールを描いてたどり着いたものではなく、好奇心に従い、さまざまな人や分野と共鳴しながら前へ進んできた結果です。そんな彼女のキャリアをたどりながら見えてきたのは、生き方においても仕事においても通底する「越境する」という姿勢でした。

井崎亜美 デザイナー・アートディレクター

デザイナー・アートディレクター。2001年度卒業生。卒業後、白石デザイン・オフィスにエディトリアルデザイナーとして勤務。2008年にKonstfack国立美術工芸デザイン大学へ留学し修士号取得。ストックホルムのBold Scandinaviaを経て、現在はIW agencyでアイデンティティやパッケージのデザインを担当している。

デザインをゼロから探りつづけた学生生活

——井崎さんが視デに進学したきっかけを教えてください。

井崎亜美(以下、井崎) 振り返ると、中高生の頃から文集の表紙の絵を描いたり、学級新聞の担当になったり、暇な時間に新聞の字をレタリングしたりしていました。「ビジュアルデザインに興味があるかもしれない」と初めて思ったのは、高校3年生の夏直前のことでした。そのことを友人にポロッと話したら「それはきっと、やりたいことだよ」と美術部に連れていってくれて。そこから歯車が回りはじめ、視デへの進学が決まりました。

——実際に入学してみていかがでしたか?

井崎 圧倒されるばかりでした。浪人を経て入ってきた同級生たちは、歴代の有名なグラフィックデザイナーの名前を当然のように知っていたり、「この作品が好き」という話をしていたりして、美大入学のための試験勉強しかしていなかった私は話についていけませんでした。(笑)

——どのような学生生活を過ごされていましたか?

井崎 他学科のプロジェクトに参加したり、友人にコンテンポラリーダンスの公演やミニシアターへ連れていってもらったりして、日常の中で芸術やデザインに触れる機会がぐっと増えました。プライベートの時間も、図書館や本屋さんに行ってデザインの本を読んだり、気になったデザイナーの展示を訪ねることを続けていました。

——印象に残っている授業はありますか?

井崎 2つあります。ひとつは、勝井三雄先生がルイス・バラガンの建築写真をスライドで見せてくれた講義の授業です。それまで、勝井先生はグラフィックデザイン一本でやってきた方という印象がありましたが、建築写真を見せてくださってそのギャップに驚きました。その時に「グラフィックデザインは紙の上だけにあるのではなく、もっと広いビジュアルデザインとしてある」と気づいて。自分の視野が広がるきっかけになりました。

もうひとつは、特別講義でゲストスピーカーとして来てくださった佐藤卓さんのお話です。『ロッテ キシリトールガム』や『明治おいしい牛乳』など、スタイルがまったく異なる作例を挙げながら「一番その商品らしい姿を追求しながら、デザインを進めていっている」というようなことをおっしゃっていて。「自分のスタイルって何だろう?」と模索していた私に、デザインと自分との距離の取り方を教えてくれた大切な気づきになりました。

3年次の「ちいさな夏休み」の授業では、「デザインには受け手がいる」ということを学びました。卒業制作では、その体験をイラストで表現し、等身大のパネルで展示しました。

卒業制作作品 2001年

小学生との交流をメモしてイラストにしていき、そこからストーリーを組み立てる。「記録」の要素が強く、ビジュアルコミュニケーションとして外に広がるようなものができなかったことは心残りでしたが、この作品を気に入ってくださった担当教授の紹介で、白石デザイン・オフィスに就職することになりました。

エディトリアルデザインの現場から北欧へ
分野を越えるデザインとの出会い

——白石デザイン・オフィスではどのような仕事をされていたのですか?

井崎 白石デザイン・オフィスは、雑誌や書籍のデザインを手がける事務所で、私は当時刊行されていた文化出版局のファッション誌『High Fashion』のデザインを主に担当していました。職場はデザインをゆっくり教えてもらえる場ではありません。まさに「見て学ぶ」という感じで、私自身も先輩たちと同じように、時間を見つけては事務所の本棚いっぱいに並ぶ『Esquire』、『Harper’s Bazaar』、『Twen』や『McCall’s』などのアメリカやヨーロッパの古い雑誌を眺めていました。そこから欧文の書体選びや文字組み、時代の雰囲気や写真の選び方を見て学び、エディトリアルデザインの実践に活かすということを繰り返していました。レイアウトもまだタイトルを写植で組むことが多く、雑誌でも1ページごとに手書きの指定紙を作って入稿していました。すでにDTP化が始まっていた時代だったからこそ、身体感覚でデザインするプロセスを体験できたのは貴重でした。

白石デザイン時代にメモしていたノートから。装丁を担当したカバーのスケッチ

私は当時はメモ魔だったので、プロジェクトごとにどういう考えでつくって、どういう指定をしていったかといったアウトプットの記録もつけて知見を貯め、次の制作につなげていきました。歴史や文脈を意識してデザインすることの面白さを実感したのも、ここからです。

写植文字の歴史や特徴、印刷所への昔ながらの指示の仕方、写真の選び方等を細かく教わった

——その後、スウェーデンへ留学されたということですが、なぜ海外へ行こうと思われたのですか?

井崎 東京での仕事は刺激的で、やりがいもあったのですが、生活の9割以上が仕事という日々が続きました。そして5年ほど経った頃、「このまま仕事だけをしている生活でいいのだろうか」という漠然とした思いが生まれました。

同じ頃、中目黒では北欧の中古家具が流行り、当時スウェーデンの高校に留学していた妹から北欧のライフワークバランスの話を聞いたりして。そういった小さな接点の重なりから、だんだんと北欧に興味を持つようになり、「仕事と生活のバランスを取りながら、どのようにいいデザインが生まれるのだろう」という疑問から、留学を思い立ちました。分かる範囲で、北欧の美術大学全てに願書を出して受かったのが、ストックホルムのKonstfack国立美術工芸デザイン大学院でした。当時は留学生も学費が無料で、それも大きな後押しになりました。

——大学院ではどんなことを学ばれたのですか?

井崎 専攻はエクスペリエンスデザインで、分野を取り払った問題解決の勉強をしました。歴史と批評と理論に基づいて、意味ある時間をデザインすることについて考えるというものです。デザイン思考や体験経済、哲学的に見る物と環境の関係性についてなどの文献を読みながら、製品やサービスを超えた個人的な体験をデザインするとはどういうことかを考えていきました。さらに、インテリアデザイナー、サウンドアーティスト、プロダクトデザイナー、ライター、アーティストといった、異なる分野の国際的な同級生と課題を解決するという視デ以上に混乱する授業を受けて、デザインテクニックとは違う、デザインの見方の多様性を教わることができました。

特に、「踏み込まないと新しいことは生まれない」という姿勢をからだで覚えたことは重要だったと思います。グラフィックデザインばかりしていると、建築のことは建築家に、デジタルのことはデジタルの人に、と他の領域に踏み込まないように気をつけてしまいがちです。でも、その境界線を取っ払うことで初めて見えてくるものがある。その体験はかけがえのないものだったと思います。

仕事も、プライベートワークも
「越境」を続けることで、道は拓けた

——大学院修了後は、どのような道を歩まれたのですか?

井崎 フリーランスのデザイナーとして活動していましたが、36歳の時に転機が訪れました。北欧の複数のクリエイティブ会社を抱えるグループ企業・The North Allianceが運営する、10ヶ月間のインターンシッププログラムに参加したんです。面接と実務試験を経て2名が選ばれるという特殊なプログラムで、ビジネスコンサルティング、広告&ブランドエクスペリエンス、デジタルプロダクト&プラットフォームなど、異なる分野の会社を2ヶ月ごとにノルウェーとストックホルムを転々としながら体験していくものでした。

日本ではインターンシップを若い世代向けの制度と捉える人が多いかもしれませんが、年齢は全く問われることなく、また学生になったような気持ちで回れました。その体験の中でブランディングの仕事が面白いと思い、最後にインターンをした会社にそのまま就職したというのが、ブランディングデザインの道へと進んだきっかけです。

——会社の仕事と並行して、他の制作活動もされてきたそうですね。

井崎 ここでも、いろいろな分野のクリエイターとコラボレーションしました。大学院の同級生・岡本真希さんとジュエリーブランド「Makiami」を立ち上げたり、建築家とインタラクティブアートの展示をヴェネツィア建築ビエンナーレで発表したり、アーティストと食べられる味のマッピングを展示したり、エンジニアと一緒に手帳をつくったりもしていました。

クライアントありきの仕事では、自分の信じていることがすべてできるわけではありません。だからこそ、仕事以外の場で他分野の人と組み、普段の仕事ではできないもう一歩踏み込んだ、より感覚的で手触り感のあるデザインを楽しんでいました。

大学院の同級生・岡本真希さんと立ち上げたジュエリーブランド「Makiami」

平面と立体の感覚、スウェーデンと日本の女性像を掛け合わせた形を模索した
写真:Rikard Lilja, Jessica Sidenros モデル:Hanna Goldfisch ヘアメイク:Michi Schietzel

——井崎さんは、スカンジナビア航空(以下、SAS)のデザインをアップデートするプロジェクトも手がけたそうですね。

井崎 そうですね。Bold Scandinaviaという、国際的なブランドコンサルタントの会社にいた時の仕事です。このプロジェクトで私たちは、飛行機の機体や機内食のパッケージなどのデザインを手がけました。SASのブランドパーソナリティである、シンプルさ、洗練さ、自信、誇りを表現しながら、環境に配慮したデザインに落とし込むことも大きなテーマでした。

『SAS 機体デザイン』Bold Scandinavia 2019年

『SAS 機体デザイン』Bold Scandinavia 2019年

飛行機の機体では新しいコーティングの素材を使い、塗料のレイヤーを減らすことで結果的に機体の重さを減らし、CO2の排出量を減らすことに成功しました。機内食のパッケージも、再生紙を使い印刷を1色にすることで、年間51トンのプラスティックの使用を削減することができました。

『SAS 機内食パッケージ「NEW NORDIC」』 Bold Scandinavia 2019年

——現在所属しているIW agencyでは、ストックホルム経済大学のブランディングも手がけたそうですね。どのようなプロジェクトでしたか?

井崎 北欧の有名なビジネススクールなのですが、スウェディッシュ・グレースと呼ばれる北欧新古典主義の美しい建築と校内には驚くほどの量のアートがあるというユニークな学習環境を持ちながら、既存のアイデンティティはダークグレーを基調としたおとなしいものでした。そういう斬新な学校の世界観とその中で起きている眩しい学校生活がアイデンティティに反映されていないという課題に、私たちが関わることになりました。

その学校自体にあるものからブランディングをしなければ、特別なものはつくれない。そんな思いから、まずは図書館から関連書籍をできる限り借りてきて勉強することからはじめました。さらに校内にあるモチーフやさまざまなテクスチャーをサンプリングし、それをグラフィックエレメントに変換できないかと繰り返し試しました。

建築様式のエッセンスをブランドのグラフィック要素に落とし込めるようテストを繰り返し、学校のメインカラーは象徴的な図書館の屋根の銅緑色から抽出した

同僚とロゴの細部を仕上げているところ

そういったリサーチや試行錯誤を通して生み出したコンセプトが「思考のための空間」です。建築から生まれたデザイン言語や校内のディテール。そこにウィットを加えてイラスト化したモチーフやカスタマイズを加えた1900年代初頭の北欧の影響をもつ書体を使い、そのすべてがこの学校にしかない世界観を物語るものとして設計していきました。全部をシステム化した方が楽ではありましたが、そうすると特別感が出せない。あえて手描きのイラストを使うという面倒な方を選ぶことで、学校の本当の雰囲気が伝わると考えたのです。

『ストックホルム経済大学 ブランドアイデンティティ(ロゴアニメーション)』IW agency 2026年

『ストックホルム経済大学 ブランドアイデンティティ(アニメーション)』IW agency 2026年

メインのタイポグラフィと組版は、学校創立当時の1900年代初頭の北欧デザインからインスピレーションを得ている

——大学院で分野を越えたデザインの仕方を学んだことは、現在の仕事にどう活きていると思いますか?

井崎 大学院での学びは、越境の苦手意識を取り除いてくれたと思います。ブランディングの仕事を選んだのも、いろんな分野のデザインに関わることができるというポジティブな理由からでした。実際に、デジタルの担当者に「これってもっとこうならないの?」と遠慮せずに聞いてしまうし、逆に相手の立場から物事を見ることを気に掛けるようになったと思います。

好奇心は、想像もしなかった場所へと連れていってくれる

——今後はどんなことに挑戦していきたいですか?

井崎 AIが浸透して、今後デザインはどうなるんだろうということは、皆さんも思っていることだと思います。私自身は、機械にデザインの楽しいところを全部取られないように住み分けをしながら、より良いものをつくっていきたい。人ができることと機械ができることの境界線を意識しながら、両者のうまい掛け合わせでこれまで見たことのないものができたらいいなと思っています。

あとは、これまでは受け身で相手に誘ってもらいコラボレーションをしてきたので、いつか自分がしたいと思うプロジェクトが見つかったら、誰かを誘う側になりたいですね。今のところ何もないので、もう少し先の話になるとは思いますが(笑)。

——最後に、美大受験を考えている高校生や在学中の美大生へメッセージをお願いします。

井崎 学生時代の私は、自分で自分の可能性を狭く考えていたと思います。これから美大生になる皆さんや美大生の方には、自分の可能性を狭めずに、好奇心に従ってどんどん挑戦していってほしい。やりたいことが明確でなくても、好奇心の向く方へ踏み出すことで、想像もしなかった場所にたどり着くことがあります。フラフラしながら進んでいるようでも、いつかそれが繋がった道として見えてくるかもしれない。私自身、これからも楽しみながら、試行錯誤を重ねていきたいと思います。

取材・撮影・執筆:宇治田エリ